hukaginoninnsikiの日記

明白で疑うことのできないほど明確な認識を追究する

神の子

私は真実を追求し、神の子を見出した。

神の子とは神の子供であり神の正当な性質を受け継ぐ者である。

ゆえに神の子は健康である。

神の子は神の遺産を受け継ぐものであり豊かである。

神の子は神の豊かさを受け継ぐ

神の子は神の技を受け継ぐ。

神の子は神の創造の方法を受け継ぎ、思考によって創造する。

多くの人は思い込みで生きている。ゆえに期待どうりの成果しか得られない。

私もまた自分の期待通りの成果しか得られない。

逆に言うと人は期待どうりの結果を得るのだ。

本当に神の子であると信じられたらそのとうりになる。

期待したとおりになる。

イエスと同じことができる。

疑問を抱かずにできるならばそうなる。

思考した通りのことが実現する。

真実はこうなのである。

すべての現実はそうなっている。

多くの人は真実を追求しようとはしない。

ゆえに5歳までに刷り込まれたことを繰り返している。

判断と呼んでいるが判断していない。

昔受け入れた考えと一致していることを受け入れている。

昔受け入れた考えと一致しているかどうかを判断している。

昔受け入れた考えというものを固定観念という。

固定観念に沿ったことが実現している。

固定観念と一致したことに出会うたびに「やっぱり思った通りだ」と納得している。

真実は「神の子は思考により創造する」のである。

「求めよさらば与えられん」である。

神の義と神の国とを求めよ。そうすればすべてを見出すであろう。

求めればそこにある。望めば叶うのである。

思考は現実化する。

真実をたどれば思考は現実化する。

神は思考により創造する。

神の子も思考により創造する。

私は肉体と魂である。

宇宙にも肉体と魂がある。

宇宙の魂を唯一の神と定義する。

私の魂は唯一の神の一部である。

私の魂は唯一の神の分霊である。

私の魂は唯一の神の似姿である。

私の魂は唯一の神と一体である。

私の魂は唯一の神の子である。

私の魂が神の子であることが証明された。

神の子は思考により創造する。

ゆえにイエスキリストは思考により創造した。

誰もがイエスキリストと同じことができる。

固定観念と同じだけの固定した思考をすることができればそれは実現する。

疑いを持たずに思考を持続できれば思考通りのことが創造される。

固定観念どうりの人生を人は送っている。

固定観念が変化すると人生が変わってしまう。

思考が変化するから創造される人生が変化する。

夢が実現すると疑問なく固定観念になるまで思考持続できたことは実現する。

夢実現に疑問が有るときは夢と疑問が半々のことが実現する。

ここでも思考が現実化しているのだ。

思考通りのことが現実化している。

本来神の子は健康であり豊かであり、幸せであり喜びに満ちている。

それが本当の神の子の姿である。

神は愛であり光であるから、神の子も愛であり光である。

神の子は幸せで豊かで健康で光り輝く存在であるから。

本によると霊視できる人が見ると人はオーラに輝いているというから。

 

真実は信じたとおりになるのであれば、無肥料でできると固く信じていればそうなる。

土が肥料であると信じていればそうなる。

育つ野菜があるが育たない野菜もあると信じていればそうなる。

信じていることが実現する。

モノにならんと信じられているとそうなる。

きっとできると信じているとそうなる。

信念の魔術である。

信じた通りになるのである。

実際体験してみないとわからないのではなく、信じたことだけが実現する。

今実現していることは過去の信念なのだ。

信念どうりのことが、固定観念どうりのことが実現するのである。

きっとできること、出来そうだと思えることを信じていると実現する。

疑いを持つときは疑いも同時に実現するので夢どうりのことは実現しない。

疑問のために夢のイメージは壊れてしまうからである。

なんだって夢のイメージの半分が違うものになれば、それがなんなのかはわからなくなる。

混沌が実現するのである。

夢のイメージを固定観念と同じレベルまで固定して信念にできれば実現する。

単純に思考は実現する。思考は現実化する。

神の子は思考により創造する。

疑問さえなければ物質を空間から取り出すこともできる。

疑問を抱かない思考の力を訓練し鍛錬すればできる。

そこまでは理解することができた。

私の見出した真実はかつて読んだ生長の家の本の文章と一致している。

人間本来神の子という主張とも一致する。

神が宇宙を貫く生命であるという主張にも一致する。

かつて読んだ本のジョーアダムスキーの言葉とも一致する。

その本の中でマスターは「ただ一つの命に奉仕すること」を語っていた。

確実不可疑の認識、確実で疑うことのできないほど明らかな認識を追求することで、自己は存在すること、魂は存在すること、神は存在すること、思考は現実化することにつながってきた。